「余計なお世話だよ、ブス!」上谷沙弥はなぜ悪の世界に? 闇落ちレスラーが語る“中野たむへの憎しみ”「ヒールを辞める気? あるわけねえだろ」 photograph by Essei Hara
「悪の世界を選んだ理由? オマエに関係ねえから。ここで言う必要ねえだろ」
スターダムの上谷沙弥はそう言うと、静かに睨んできた。
「中野たむを信頼していたのに…」
上谷は12月29日、両国国技館で中野たむの持つ赤いベルト(ワールド・オブ・スターダム王座)に挑戦する。5カ月前、悪魔に魂を売って刀羅ナツコらのH.A.T.E.に加入した女は、うつむき加減に話し始めた。
「中野たむに挑戦するきっかけは、1年前の『5★STAR GP』での腕の脱臼。あそこでケガをして、しばらく経ってから、あれって私を受け止めなかった中野たむが悪いんだって、そう思ったんだよね。あんなにも私は苦しんだ。その復讐のためだよ」
私怨以外にも挑戦の理由はある。たとえ悪に堕ちても、上谷にとって赤いベルトは唯一無二の価値を持つものだ。
「赤いベルトは白いベルトを落としてから、ずっと目標にしていたもの。スターダムの頂点だけど、同時に女子プロレスの頂点だとも思っている。強さの証明、それが赤いベルト。それが欲しいからプロレス人生をかけて取りに行くと決めたんだよ」
中野への複雑な心境を上谷は語る。
「タッグパートナーだった林下詩美の退団だったり、QQ(クイーンズ・クエスト)がなくなったり、いろんなことがありすぎた。タッグのベルトも巻いていたから、少し時間がかかったけど、心の奥底では中野たむへの思いは消えていなかった。もしかしたら愛情の裏返しで、この憎しみという感情が芽生えたのかもしれない。それだけ、私は中野たむを信頼していたんだよね」
2023年7月23日、中野との『5★STAR GP』開幕戦で上谷は照明用の鉄柱を上ってダイブしたが、着地時に左肘を脱臼した。「あそこから、怒りと憎しみが自分の中で芽生えた」と本人が振り返る一戦だ。
「何の技でもいいよ。どんな技でも受け止めるからって中野たむは言っていた。だから、私は高い所から思い切り飛んだのに、あいつは受け止めてくれなかった。信頼していたのに……」
「正統派でいなきゃ」というストレスを抱えて…
唐突なヒールへの転向に、大多数のファンは戸惑ったに違いない。事実、SNSは一時“炎上状態”になった。
「H.A.T.E.に加入した当初、SNSで見てるヤツらからは『上谷、大丈夫か』『泣いてばかりなのに』とか、いろいろ言われたよ。アンチコメントも含めて、いっぱい来たけどね」
だが、意外にも、上谷は即座に悪に順応した。今ではファンの反応を楽しんでさえいる。
「白いベルトを防衛(歴代最多の15回)していた頃は正統派でいなきゃ、いい子でいなきゃって、自分を取り繕っていた。それがストレスだったんだよ。今は自分の好きなようにプロレスができて、自由にのびのびやっていいんだなと思える。ストレスフリーだし、楽しいよ。街を歩いていても、普段は“ナチュラルメイク”だからファンに見つかることもまずないからね」
見た目も一気に変わった。黒を基調としたビジュアルのイメージは「悪の女王」だという。
「リングに上がるときはラメも入ったブラックメイク。グリーンや赤のコスチュームの時も『似合うね』とは言われたけれど、今の方がずっと評判いいんだよね。『黒めっちゃいい、色気出た』とか言われるんだよ。それはちょっと、うれしいよね(笑)」
闇落ちした上谷を支持するファンも急増中だ。
「H.A.T.E.には覚悟をもって加入した。ただの思いつきじゃないんだよ。自分の中で時間をかけて計画練って、自信を持ってリングに立っている。今のスタイルになってから風向きが変わったように感じるね。やりたいようにリング上で自分を表現できるし、嫌われたってまったく構わない。まだまだ試行錯誤の部分、もっとこうした方がいいっていうのはあるけどな。言いたいこと言って、好き放題言い返せるのがとにかく気持ちいい。着飾ってない自分を見て、みんな喜んでるんじゃない?」
中野が少し前、「悪い男に引っかかったんじゃないか」とちょっかいを出してきたが、上谷はこう言い返す。
「余計なお世話だよ、ブス! 男に惑わされるような弱い気持ちでプロレスやってねえよ。テメエこそ、そんなピーピー喚いてる暇があるんなら、いい男でも探して、花嫁修業でも始めろよ」
悪の道こそが「私のど真ん中なんだよ」
上谷は開き直りともとれる理不尽な要求を中野に突きつけている。
「中野たむが『全部飲み込む』っていうんだったら、責任取ってプロレスラー辞めろよ(笑)。でも、辞められないだろ? たしかに中野たむがいたからこそ、今のスターダムがあると思う。でも、赤いベルトのチャンピオンとしての役割はもう終わり。中野たむ、お疲れ様でした」
中野はそんな上谷に対して、「ど真ん中を歩ける逸材だったのに、脇道に逸れてしまった」といった表現をしていた。だが上谷は、「まっすぐ生きるだけが人生じゃない」と意に介さない。
「私は悪の中にも正義があると思ってるんだよね。自分が築き上げてきているものに自信があるし、強い信念を持ってH.A.T.E.やっているから、迷いは一切ないよ。自分にウソをついているつもりはまったくない。今、歩いているこの道が、私のど真ん中なんだよ」
ヒールとして開花しつつある上谷は、話題のドラマ『極悪女王』をどう見たのか。尋ねると、強気な答えが返ってきた。
「プロレスラーとして見ていたから、面白くて共感することもあったけど、まったく知らない人が見たらどう思うんだろうね。『昔はすごかった』『昭和はすごかった』とかばっかり。それが悔しいんだよ。昔は昔でいい。でも、私は今の方がすごいと思っている。プロレスブームが来ているって言われているけど、爆発するまでもう一歩。今のプロレスがすごいんだって、ちゃんと世間に届けたいんだよ」
そのための第一歩が、中野から赤いベルトを奪い、スターダムを変えることだという。
「(中野がチャンピオンで)去年も同じような景色だったよな。それを変えたい。刀羅ナツコが夏に赤いベルトを持った時に、『悪のチャンピオンっていいな』と思った。赤いベルトの歴史は長いけど、私はヒールのチャンピオンとして別の景色をリングに描きたいんだ。中野たむを地獄のどん底まで引きずり下ろしたい。ベルトを取った後に、さらなる最大の復讐を用意しているよ。それは赤いベルトを取ってからのお楽しみだな」
「ヒールを辞める気? あるわけねえだろ」
11月17日に大阪で行われた新日本プロレスとの合同興行では、ゲイブ・キッド、ドリラ・モロニー、刀羅ナツコと組んで、棚橋弘至、田口隆祐、羽南、飯田沙耶組と対戦した。その試合中、上谷が田口に対して急所攻撃を見舞う一幕があった。だが、「気合入れて金的をかち上げたら、その手を長い時間、股間で押さえられた」と、攻撃した側の上谷が逆に怒り心頭だった。
「あれ、セクハラだろ。バックステージで田口から『試合の恨みをはらしたいから、今度シングルで』とか言われた。それは受けてもいいけどな。田口、セクハラだろ。新日本、法的措置を取るぞ」
いまや上谷は“フェニックスの呪い”を完全に断ち切り、「やりたいことをやるだけ」というモードに入っている。11月11日の後楽園ホールでのタッグリーグ戦では、スプレーを使って中野の顔面を真っ黒に染めた。「中野たむを沈めてやるという強い意思表示」だという。
「振り返るにはちょっと早いけどな。波乱万丈の1年だったよ。QQがなくなって、WAVEにも参戦して、覚悟を決めて悪の世界に入った。来年を自分の年にするためには、中野たむにとって最悪の結末にするしかない。『5★STAR』の決勝で舞華に負けた時の屈辱も、まだ引きずってる。舞華とはフューチャーもゴッデスのタッグも白いベルトも争ってきたからね。(7月28日の札幌で)裏切ったときの反応?『どうしてあんなことをしたんだ、意味がわからない』と言われたよ。引っ張ったのはレフェリーの足だけど、舞華の足を引っ張りたかったんだよ。どんなことをしても、プロレスラーとしてのし上がりたかった。今度は私がチャンピオンとして舞華の挑戦を受けて、勝ってみせる。ヒールを辞める気? あるわけねえだろ。こんな楽しいことないって。悪には悪の楽しさがあるんだよ」
上谷は不敵に笑った。
「中野たむ。私はプロレス人生のすべてをかけて、オマエの赤いベルトを奪いに行く。そして二度と這い上がれないように、奈落の底に突き落としてやるよ」
文=原悦生
photograph by Essei Hara