大谷翔平が「つらそうだった」 乗り越えた苦難…結婚、事件、世界一 小谷記者が見たドジャース1年目|Full-Count 公式note

こんにちは、野球専門メディア「Full-Count」の木村です。2024年も終わりに近づいてきました。今年最後のテーマは「大谷翔平の1年を振り返る」。エンゼルスからドジャースに移籍し、ワールドシリーズ制覇まで駆け抜けた大谷選手。記録ずくめの2024年シーズンを、現地で追いかけ続けた小谷真弥記者に語ってもらいました。

【写真:ロイター】

ドジャース移籍に結婚、50-50、WS制覇…大忙しの1年間

大谷選手は2023年12月に10年総額7億ドル(約1066億円)という天文学的な金額で契約を交わし、ドジャースへ加入。さらに真美子夫人との結婚を電撃発表し、もともと高かった注目度はさらに上昇しました。

春には水原一平元通訳の事件が発覚するというショッキングな事件もありました。それでも試合に出続け、9月には前人未到の「50-50(50本塁打・50盗塁)」を達成。自身初のワールドシリーズ制覇まで成し遂げました。

野球ファンや、世界中の評論家たちの想像を軽く超えていった大谷選手の2024年シーズン。そばで見てきた小谷記者の目にはどう映ったのでしょうか……。

小谷真弥(こたに・まさや)

1983年、大阪・大阪狭山市生まれ。埼玉・東松山市育ち。明大明治高、明大野球部を経て2006年報知新聞社に入社。地方部(富山・石川)を経て2009年に運動第一部(野球部)へ異動。2009年ロッテ、2010、11年横浜、2012年から巨人、2015年から日本ハム、2017年からメジャー担当。2019年2月からFull-Count編集部に所属。

※記者、編集者、英語翻訳スタッフなど採用強化中

「毎日がジェットコースター」2024年を振り返って…小谷記者にインタビュー

――大谷選手を取材する記者として、どんな1年でしたか?

本当に毎日がジェットコースターというか。3月の結婚発表に始まって、元通訳の事件もあって……。そして偉大な「50-50」という記録を打ち立て、最後にはワールドシリーズ制覇と。もうこれ以上のニュースはないんじゃないかなっていうような、そんな1年だったと思います。

2023年12月14日(日本時間15日)、ドジャース入団会見でユニホームに袖を通した【写真:ロイター】

――注目度に変化はありましたか?

そこは変わらないかなとは思いますね。ずっと注目を集めているような感じなので。オールスターの時も囲み取材ではニ重、三重の人だかりができていましたし。ワールドシリーズでも変わらずすごかったので。アメリカでもトップニュースで報じられていましたし、ずっと変わらず注目されていたと思いますね。

――シーズン序盤はホームランが出ない試合が続きましたが……。

そのうち出るだろうというような感じはあったんですけど、やっぱり大谷選手はあの時期(4月頃)というのが一番つらそうでした。元通訳は本当に大きな存在だったので。

大谷選手が寝られないと話してたのがすごい印象に残っていて、もう本当にショックで……。あれだけ睡眠を大事にする選手が寝られないと話すのは、なかなかないことだなと思って聞いてました。

試合後の取材を受けるドジャース・大谷翔平【写真:小谷真弥】

――プレー以外で印象に残っている場面はありますか?

大谷選手はドジャース1年目でしたが、レギュラーシーズン中は、大谷選手のユニホームを着ているファンの方が一番多いなっていう印象を受けていました。いきなり1年目からドジャースの顔になったなと感じましたね。

――日本からの注目度も現地で感じていましたか?

そうですね。日本のファンの方もすごくたくさん来ていましたし、ドジャースと日本企業が契約を結ぶケースなども増えましたね。現地で日本語を聞くことも、目にすることも多かったです。あとは、銀だこがドジャースタジアムで販売されているのも話題になりましたよね。

「オオタニは面白い」認められた“要因”は?

――期待値は元々高かったと思いますが、チーム内では最初から認められていたのでしょうか?

最初はやっぱり「どんな選手なんだろう」っていう感じで。どの選手も同じだと思うんですけど。シーズンが進むにつれて、「オオタニはすごく面白いんだ」というか、「すごくジョークを言うんだ」っていう話が選手から結構出ていました。野球は当然すごいんですけれども、“ひとりの青年”だっていうような所が、どんどんチームに溶け込めた要因じゃないかと思います。

なかなか英語が話せても、ジョークまで話せるっていうのは本当に習得してないとできないことだと思うので。難しいことなんだなと思うんですけど、そういったところで選手と溶け込んでいったのかなと思いますね。

――英語の上達もカギだったと。

もともと1年目から英語はできていたみたいなんですけど、通訳が代わって、常に通訳のアイアトンさんがいるわけではなかったので。ダイレクトにコミュニケーションを取ることが増えたと思います。

例えばテオスカー・ヘルナンデス選手だったり、キケ・ヘルナンデス選手らと話している場面を見ることもあったので。大谷選手にとっては(通訳が代わったことも)結果的には良かったなという面はあったと思います。

【写真:ロイター】

――スタンドからの歓声が日に日に大きくなる印象がありました。MVPコールもよく耳にしました。

夏頃からですかね、スタンドからMVPコールが自然と湧き上がるようになりました。反対に敵地ではブーイングももちろんあるんですけど、本当にそれは認められている証拠ではあると思うので。

やっぱり大谷選手に対する歓声っていうのは、一番大きかったですね。ブーイングも含めて。

――現地メディアからの注目度もやはり高いですか?

アメリカのメディアの方も、ベッツ選手やフリーマン選手らチームメートに大谷選手のこと聞いていました。それだけアメリカのメディアの中でも、注目はされていましたね。

偉業だらけの1年で見えた大谷“らしさ”

――数々の印象的なシーンを見てきたと思いますが、50-50の瞬間はやはり忘れられないですか?

エンゼルス時代を含めても、最もすごい試合だったなと思いますね。もうテレビゲームの世界だと思うので。みんなが「50-50」を期待していたところを、すぐに「51-51」まで伸ばすっていうのが、なんか大谷選手らしいなと思っていました。しかも一気に超えていったので……。

――偉業を達成した大谷選手はどんな様子でしたか?

そこはいつも通り、変わらなかったような感じはしましたけどね。試合が終わったら、いつも次を見ているような感じがあるので。もちろんやっている時は興奮していると思うんですけど、取材対応する時はいつも淡々というか。ポストシーズンの時も、世界一になったらじゃあ「あと9回やろう」っていう話をしたなんてことも。

――そんな中で最もすごみを感じた瞬間はどこですか?

やっぱりワールドシリーズで脱臼した時ですかね。けがした数時間後、みんながどうなんだって思っていた時に「俺は出るつもりだから」っていうような話をチャットでチームメートに送ったという話は大谷選手らしいなというか……。考え方にすごみを感じましたね。ワールドシリーズでは個人の結果は伸びなかったんですが、そこでの気持ちの強さを見たような気がします。

――ワールドシリーズ。やはり素晴らしい舞台でしたか?

全然違いますね。もう歓声の大きさとかも全然違うので……。本当に5メートル先の声ですら聞こえているのかなっていうくらい、すごい歓声の中でプレーをするので。本当にすごいですよ。耳の鼓膜が破れるんじゃないか、耳がおかしくなるんじゃないかという歓声で……。

――小谷さん自身もテレビ出演が増えましたね

そうですね。テレビ出演の依頼があるたびに、日本でも注目が高まっているんだなっていう雰囲気を感じましたし、本当にありがたいことだと思っています。

――来シーズンの大谷選手に期待することは?

1年間健康でプレーすれば、すごい成績が出るのはもう分かっているので(笑)。まずは本当に健康でいてほしい、そこだけですね。本塁打は30本でも40本でも、投手では10勝、15勝とか期待できると思うので。

木村のまとめ

偉業の数々が当たり前に感じてしまう1年間を小谷記者へのインタビューとともに振り返り、あらためてその偉大さを実感しました。実際に目の前で見て、話を聞いてきたからこそ感じられる大谷選手の不安や葛藤、喜びには心を動かされるものがありました。選手たちと一緒に戦い、哀歓をともにしたからこそ記録樹立や世界一の瞬間が、より格別なものに感じられるのだと思います。

そんな特別な瞬間を取材できることに、小谷記者は「ただただ運が良かった」と謙虚な回答。さらに、最後に大谷選手へ伝えたいことを尋ねると「ありがとうございます、感謝しかありません」とひと言。どこまでも選手をリスペクトする言葉が印象的なインタビューとなりました。

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